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昔から車の運転が好きで、
子供の頃の夢は『タクシーの運転手さん』になる事でした。 (笑)
結局…夢は叶いませんでしたが、
車好きは変わることなく現在に至ります。
色々な車を乗り継いできました。
写真に残っていない車も多数あります。
先日写真の整理をしていましたら車の写真が出てきましたので、
見つかった分だけでも掲載しようと思います。
高級車には全然興味が無く、また、縁もありませんでした。
何の変哲もない車たちですが、自分や家族と過ごしてきた仲間です。
時間がありましたら、のんびりと見物してくださいませ。
順次追加していきますので、時々お立ち寄り下さい。
懐かしい車と出会えるかもしれません。
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DUTSAN DUTSAN TRACK・1500? |
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懐かしのダットサン・トラックです。
当時の私は軽免許しかなかったので、この車は運転出来ませんでした。
そうで〜す。 昔は16歳で軽自動車の運転免許が取得出来たのです。
当時は『金の卵』の時代で、多くの若者が10代から働いていました。
私は今でもスマートです?が、当時はそれ以上にスマートですね。
もっとも当時の若者で、ブクブク太っている奴は殆どいませんでしたが……。
貧困な時代でしたから、食生活が影響していたんでしょうね。(笑)
貧しい時代でしたが、人間味のある良き時代でした。
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スズキ・フロンテ 360−DX
空冷3気筒エンジン、2サイクル・360cc。
空冷ですので冬は暖房が利かずに、震えながら走りまくっていました。
飛騨高山でサイドブレーキを引いたまま一泊して、朝スタートしようとしたら
ワイヤーが凍り付き、戻せなかった苦い思い出があります。
皆さんも雪国では夜間駐車時、サイドブレーキは引かないで下さいね。
リヤーエンジン・リヤードライブです。
ボンネット部分にはガソリンタンクとスペアタイヤが入り、トランクはありませんでした。
荷物がある時には後部座席がトランク代わりでした。
また、当時の軽乗用車は、8ナンバーでした。
ちなみに軽トラックは、6ナンバーでした。
今でも変わりませんが、普通乗用車は5ナンバー、普通トラックは4ナンバーでした。
この頃からハンドルカバーは、手巻きのロープでした。
慣れてしまうと革巻きのハンドルカバーなどは細くて手に馴染みませんでした。
注意点は爪を伸ばさない事です。
ちょっとした事で爪を割ってしまいますので、御注意下さい。
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スズキ、フロンテ・360−SS
以前のDXに比べると、スポーツタイプですので最高速度が違います。!!
それでも120Km/hを越すのがやっとでした。(笑)
後部車輪の泥よけは、フロアマットの流用です。
タコメーターが付いているのが、やたら嬉しかったのを覚えています。
当時スズキのメーターは目盛りが細かくて、好きでした。
スピードメーターは1km/h単位で刻んであり、タコメーターは100rpmで
刻んでありました。
最高速度がカタログに書いてあるくらい、当時のメーカーはスピード競争を
していました。
小刻みなメーターは、その影響かもしれませんね。
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TOYOTA カローラ・スプリンター・1400SL |
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当時の友達が所有していた、スプリンター・SLです。
欲しくて欲しくて、でも給料が安くて買えませんでした。(笑)
私の好みとしては、イエローカラーが好きでした。 |
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ホンダZ 別名・水中メガネ
この頃は、当時主流の空冷2サイクルエンジンから
本格的な4サイクル・水冷エンジンへの転換期でした。
これも友達の車です。 早かったです。
ホンダは当時から(普通車も含め)FFが多かったですね。
空冷3気筒のフロンテでは追いつけませんでした。
当然と言えば当然ですが、悔しかったなぁ〜。 |
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パブリカ 1200SL 私が買った最初の普通車です。
同じパブリカでも水冷エンジンです。 有鉛ガソリン専用。
ソレックスのツインキャブで77馬力を出していました。
車体が600kg程でしたので、圧倒的なパワーウェイトレシオ(当時は)でした。
中段の写真は東名高速を巡航中(100km/h超)に、
飛んできた小石にてフロントグラスを破損した時の物です。
凄い音と共に、一瞬で視界がゼロになりました。
パニくらなかったお陰で、今の自分があります。(汗)
3枚目は新しくロープを巻き直した時の物です。
汗で手が滑らないように常に細いロープを巻いていました。
これだけ巻くのに20メートル近く必要です。(笑)
巻き終わった時は、いつも手のひらはマメだらけでしたっけ。
それにしても、カーステレオの8トラ・デッキが時代を反映していますね。(笑)
追記 2006-07-12 06:05
久しぶりに巡回・読み返していて思い出したのですが、今までで一番スピードを出した車になります。
出張で千葉の三井造船へ行き、仕事を終え帰省中の東名高速でのことでした。
『チャンスがあったらこの車の最高速度を出してみたい』と常々チャンスを伺っていました。
車の隙間を縫ってブッ飛ばすアホな連中も居ましたが、私は周りを巻き込むのも巻き込まれるのも
イヤでしたので、普段は交通量に応じた走りしかしませんでした。
また、同乗者を巻き込むのもイヤでしたので、一人の時しかムチャはしませんでした。
何度も出張に来ていましたがいつも車が多く、巡航+αで流すのがせいぜいでした。
田舎の鹿児島へ帰ったら高速道路は無いし、直線もないし、チャンスは当分来ないなぁ。
余談ですが、東北地方の高速が全線開通して『これで日本全国開通だ』と日本中が湧いた時でも
実際の鹿児島県は未だに熊本県とは開通していませんでした。 この事実は殆ど知られていません。
鹿児島県は当時、陸の孤島とまで呼ばれていましたから、忘れ去られていたんでしょうね。(笑)
この日はあいにくの雨で、とてもチャレンジなど出来ず今回は諦めていました。
日本坂トンネルに入った時、路面も乾いているし前後に1台も車が居なかったので(まして嫌いな
ねずみ取りも無し)チャンス到来とばかりに思いっきりアクセルをベタにしました。
残念ながら当時の1200ccでは4速が普通でしたので、結構キツかったです。
それでも気持ちがいいくらい吹き上がり、タコメーターがぐんぐん上がり6000を突破、
170km/hを越えたあたりで、遥か前方に大型車を発見。 残念!、今回は175km/h留まり。
アクセルを離して何秒もしない内に前方の大型車が目の前に来ていました。 ひぇーーっ!
あと1秒アクセルを離すのが遅れていたら、面白い事になっていたかもしれません。
アクセルをベタ踏みするにも勇気が要りますが、離すにも勇気が必要ですね。
このあと2度とチャンスは訪れず、私のMAXは175km/hに留まっています。
5速だったら…と今でも思います。(笑) 当時25〜6の若気の至りでした。 |
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GTOの前には1ボックスの「ダイハツ・ハイゼット」にも乗っていましたが、
残念ながら写真が1枚もありません。
もともと白色だったのを、自分で黒に塗り替えました。
アメ車のムスタングが好きで、買ったようなものです。
この頃の三菱は良かったですよ〜。
南は鹿児島から、北は山形県まで仕事で走り回りました。
低重心で、安心してぶっ飛ばせる車でした。
この車も東名高速で事故りかけました。 東名に縁があるのかな??
巡航中(100km/h超)に右前輪が突然のバーストを起こしたのです。
右側からゴムの破片が飛ぶのが見えましたけど、硬めのタイヤを使って
いましたので?何事も無かったように(ハンドルも取られず)走行でき難を逃れました。
パーキングエリアでタイヤ交換するまで、80km/h程で普通に走行が出来ました。
ただ、タイヤ交換時にタイヤを見て青くなりましたけど……。(笑)
何と、サイドに大穴が開いていました。
ちなみに後部座席の背もたれは取り外して、30・20・10cmのスピーカーを
左右に振り分け、6スピーカーで当時はやりのディスコ音楽を大音響で
鳴らしていました。 特に「アバ」、「アラベスク」が好きでした。
今、考えると顔から火が出そうです。(笑)
3枚目はコックピットの写真です。
ロープ巻きが面倒だったのか、革のカバーが付いています。
ずらりと並んだメーター類に囲まれて、幸せな日々でした。(笑)
ちなみに、当時コクピットの好みで言うと『マツダ・ファミリア・クーペ』が、一番好きでした。
T型ダッシュボードに並べ尽くされたメーター・スイッチ類は圧巻でした。
当時を知る人でしたら、納得出来ると思います。
でも、親方の『マツダはダメだ!』の一言で、保証人になって貰えず
購入を断念した苦い思い出があります。
今なら自由に購入出来るのですが、当時はローンを組むのに保証人が必要な時代でした。
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日産のグロリアです。
免停に次ぐ免停でこれ以上捕まる訳にいかないので、大人しい車に替えました。
車を買い換える動機が不純ですねぇ〜。(笑)
ところが重すぎて大飯食らいの、トンでもない厄介者でした。
自重が1500kgを越えていましたので、重量税だけでもバカになりませんでした。
ま、大人しく走って捕まらないという、初期の目的は達成出来ましたけどね。(笑)
エンジンオイルを注ぎ足しした時に入れすぎて、街中に煙幕を張ってしまった過去を持ちます。
私が持っているのは、当時趣味にしていた散弾銃です。 12番径の上下二連、SKBです。
まさに「キチガイに刃物」……いやいや、「鬼に金棒」ですね。(笑)
規制が厳しくなると言う事で急遽、取得した頃です。
実際の所は、当時でも所持許可の申請の時点でも厳しかったですよ。
今の時代に比べたら、かなり緩やかではありましたが…。
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この前に三菱の「ミラージュ5ドア・ターボ」がいたのですが、写真が見つかりません。
見つかりましたら後日掲載致しますね。
子供が幼稚園に入園するというのに…またもやスポーツ系に乗っていました。
いい年になっても、全然懲りていませんでした。 反省!
この車も有鉛ガソリンです。 当時でも有鉛ガソリンを扱っているスタンドは少なく、
鹿児島空港に燃料を納入している業者から分けて貰っていました。
有鉛ガソリン+ツインキャブの相性も良く、気持ちがいいくらい吹き上がるエンジンでした。
お陰様で街中の交通標識などへの寄付は、数重なる違反の為に多大な額になりました。(笑?、泣?)
ドアミラーではなく、砲弾型フェンダーミラーというのも古き時代の名残でしょうか。
ここに登場するモデルさんは、愛娘の長女です。 |
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2人目が幼稚園に入園した頃に、軽に替えました。
別に前の車で事故った訳ではありませんので、念のため。 (笑)
あちこちに出かけるには1ボックスの方がゆったり出来るし、荷物もたくさん積めます。
何よりもスピードが出ないので、イヤでも安全運転になりました。
この頃からスピード違反で捕まる事は無くなりましたから。
登場するモデルさんは、愛娘の長女、二女です。
当時は幼稚園生でしたが、現在は成人式を過ぎました。
また、軽自動車のサイズ変更により、エンジンが550ccになり以前より快適になりました。
まだまだ若かった私は、子供達と共にあちこちへ出かけましたっけ。
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